昔の自分はとにかく我慢をしまくっていた
これは体験談になるのですが、多分昔の僕と同じ考えの人って少なからずいると思うので、ちょっとしたお話を。
まず昔の僕は大きな夢があって、会社を辞めて独立したいということを考えていました。独立する手段は、こういったWeb系だったり、イラストとか音楽だったりその時々に変わっていったんです。
その時の自分の考え方っていうのは、
「今は我慢するときだ。きっとここを乗り越えれば、我慢してきたことができる」
という考え方。
極論ですが、欲しいものも時間も全て我慢していたわけです。例えば洋服一枚とってみても、成功したら買えばいい。今は我慢だとなってしまうわけ。
何か欲しいものがあった時も、当然今は我慢だと。
こういった自分自身の物欲などに対する我慢ならまだいいんですが、それがコミュニケーションにも広がっていったんです。
会社の飲み会なども極力避けてみたり、友人付き合いも避ける。自分の集中する時間を増やすためですね。これがいいのかいけないのかというと、どちらの考え方も有りだと思うんです。
ですが、僕自身の体験談として語ると
「我慢したけど状況は変わってくれなかった。そして時間だけが過ぎた」
ということですね。
いつか成功する自分を夢見るのは結構なんですが、自分がその時にやりたいと思う純粋な欲求も全て封印するのはどうだったのかなって。
結果、僕は15年くらい我慢しましたね。15年という時間は長いですからね。
時間こそ取り戻せない財産であるということ
ちょっと寄り道してもいいと思えるように
自分の未来に対して、予想がつかないから我慢ができたわけです。
そして15年経って、それが成功したかというと
否
でした。ではその15年間はどうだったのかというと、極論的に言えばもったいなかったって。
その15年の間でしかできなかったことってあったはずなんですよね。その時間はもう戻らない。
では僕の考え方がもう少し柔軟だったらどうだったかというと、きっと15年という時間の中で成功はしていなくても人生は今よりももっと楽しんでいたんだと思うんですよね。
そこからですね。ようやく僕は気が付いたので、
今を今なりに楽しもう
と思うように考え方を変えたんです。
きっと、15年前の僕は、15年後の僕が成功すると信じて疑わなかったんでしょう。だから我慢ができた。しかし、15年後の自分の未来が見えていたらその時をもっと楽しんでいたんだと思います。
時間ってそれほど大切で平等に与えられた財産ですからね。
今の僕は考え方を変えるようにしていますが、まだまだ完全に自分自身を出し切れていないです。
ですが、欲しいなあと思うものは買うようにしているし、ある程度人付き合いもするようになりました。そうすることによって、その瞬間を楽しめるようになってきたかなーって。
未来の自分を信じて疑わないのもいいかもしれないけれど、自分の今っていうのはその瞬間しかないんですからもっと楽しんだ方が絶対にお得です。
明日もし自分がいなくなったとしても、後悔しないような生き方を毎日できれば幸せですよね。
我慢のしすぎは体に毒です。ですが最近物欲が際限なく湧いてきた僕にはある程度の我慢が必要なんですけどね(笑)