車の免許を取らないで他界したおじさんに思うこと

こちらは車がない生活が考えられない

ぼくが住んでいるところは田舎の長野県です。長野県って言えば交通網に車がないと話にならない地域なんです。

電車やバスは通っていますが、ど田舎になるとバスなんか1日に数本しかこない。その時間を逃してしまえば街場へくだることができなくなってしまう。

こういった理由から車は一人一台ないととても厳しい環境下に置かれています。

対してぼくの母方の実家は東京に住んでいました。東京では交通インフラが半端じゃないほど便利なので、誰一人免許すら持っていなかった。

ぼくも19歳のころ東京で一人暮らしをしていた時期があります。確かに電車はかなりの本数通るし、歩いて駅まで数分のところに住んでいれば免許は必要なかった。

車の運転を知らないのはもったいないということ

東京で車を運転すると、長野の道よりも難しいです。特に新宿とか中央に寄れば寄るほど車線の数は増えてくるし道もわかりにくい。

長野で鍛えた運転技術を持っていても、なんだか都会の道は走りにくいです。

実際にぼくも東京に住んでいたら車を持っていたかどうかすらわかりません。

ですが、車の運転を知らないっていうのはちょっともったいないなって。

自動車ってすごく便利なんです。自分の部屋がそのまま移動しているようなそんな感覚っていうのかな?

例えば車の中に飲み物や食べ物を入れておくこともできる。布団を入れて中で眠ることだってできる。

パソコンを持ち込むことだってできます。キャンピングカーほどではないですが、車中泊なんか当たり前にできますよ。

本当に自分のプライベートな空間がそのまま移動できるというメリットがあるわけ。電車で目的地へ行こうとするとどうしても時間の制約がでるでしょう?

何時までの電車に乗らないといけなくなるとか、終電を逃したら明日になるという具合に。

これが車にはないんですよね。車なら先に出かけて途中で一眠りしてからまた移動するか。といった自分のペースで移動ができてしまうわけ。

初めて自分で運転免許を取って車で移動した時っていうのは感動でしたよ。

高校生のころ、親の車を借りて夜中に遊びに行くんです。昔なら自転車で集まって、その辺の空き地で他愛もない話をしていた。ですが夜は目立って注意されたりするんです。

これが車だと車の中でみんなで話をすればいい。これは便利だぞと。

おじさんは免許を取らないまま他界した

ぼくのおじさんは先日他界してしまったんです。彼は運転免許をやはり持っていなかった。埼玉に住んでいて、そこから電車で片道1時間半かけて毎日通勤したそうです。往復で3時間。

今のぼくからしたらちょっと気が狂いそうになってしまいそう。毎日電車で往復3時間の通勤は苦痛でしかないな・・。

やっぱり電車の時間はコントロールできないから終電を逃すことだってあるでしょう。天候に左右されて帰宅難民になることだってある。

もしおじさんが車の運転を知っていたらどうなっていたかな。まあ電車で通ったことは間違いないけれど、車のドライブって最高のストレス解消にもなりますからね。

自動車が身近にある長野県ですが、車がもたらしてくれる恩恵っていうのは計り知れないんだなって。

都会なら車はいらないのかもしれないけれど、運転はすごく楽しいものなんですよ。

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